海外渡航における予防接種とは

日比谷クリニック 奥田 丈二

どんなワクチンが必要か。
それぞれのワクチンについて。
今後期待されるワクチンについて。

A型肝炎ワクチン
B型肝炎ワクチン
狂犬病ワクチン
黄熱病ワクチン
日本脳炎
破傷風ワクチン
コレラワクチン

日本や欧米諸国内ではすでに縁遠くなった感染症も地球上の多くの地域では未だ重要な問題であり、現在も多くの人が生命の危険にさらされております。特に衛生環境の改善によって免疫的に抵抗力が弱まった我々がこれらの地域に渡航すると感染症による危険はさらに増します。海外渡航に際し、感染症に対して出来る限り安全に滞在するために防御(予防)が必要となります。 かつてこの分野に於いて日本は先進国でしたが、敗戦後より植民地政策と関連する海外医療はタブー視され、一方国内については先人の努力(ワクチンや環境整備等)により多くの感染症が制覇されたことから現代の日本人は感染症に対する関心が薄れ、他の先進諸国に比べ海外渡航時の感染症対策が極めて遅れているのが現状です。たとえば欧米に比べて渡航前のA型肝炎などのワクチン接種率が極めて低く、生活上の感染症対策も大抵の場合、生水は避けるといった程度の知識にとどまっております。 近年、アジア地域等とますます密接になり、数多くの邦人が渡航している現在、A型肝炎やデング熱などの病気が身近に聞かれるようになり、感染症に対する予防の徹底が急がれます。 感染症に対する予防方法として、予防接種による予防、滞在中の生活上の感染症対策による予防があります。この項では主に予防接種について説明させていただきます。

どんなワクチンが必要か。

単に地域別に必要なワクチンを挙げるのは困難です。

日本や欧米諸国以外の地域では、数多くの感染症にかかる可能性を有するため、これら全てを予防するためには全部に近いワクチン接種が必要となってしまい、そのコストや副反応が問題となります。また現実的に渡航までの限られた時間の間に接種できるワクチンは限られます。 その感染症に対するワクチンがあっても渡航者の滞在状況下では罹患する可能性が比較的少なく、生命リスクも低いものについては必ずしもワクチン接種だけではなく、生活上の注意でも十分に防げる場合があります。 ワクチンにより防御すべきもの、滞在中の生活上の注意で効果的に防ぎうるものにわけ、渡航者に最も効率的かつ有効な予防接種内容を決定する必要があります。

その為には予め医師と面談し、現地での活動内容、滞在期間、現在の流行状況、過去のワクチン接種歴、危険地域に入るまでの期間、年齢などを考慮した上で接種するべきワクチンを決めていく必要があります。

さらに医師はワクチン接種だけでなく、ワクチンで予防できない感染症(マラリア、デング熱等)について、現地での生活上の指導をおこなう必要があります。その為には予防接種に関わる医師は感染症に対する知識、その地域の衛生環境や感染症について出来る限り正確な状況をたえずup to dateに把握していく必要があります。

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それぞれのワクチンについて。

現在、日本国内で接種できる海外予防接種に適したワクチンは限られます。現在日本で接種することが出来る代表的なワクチンについて説明いたします。

A型肝炎ワクチン

A型肝炎とは

A型肝炎ウイルスは便から経口的に感染します。便→手→食物→口、便→水→口といった感染経路が主です。
衛生環境の悪い地域では大部分の人が乳幼児期に感染しており、すでに抗体を有し二度と罹患しません。(この頃は感染しても症状が出ないことが多く、出ても風邪症状ぐらいで収まり、ほとんどの人が感染したことに気づきません。)
 一方、成人が感染した場合はかなりの確率で急性肝炎を発症します。 日本人を含めた衛生環境のよい地域の人は抗体保有率がとても低いため、渡航中に現地の人と同じものを口にすることはきわめて危険です。感染すると1週間後より便にウイルスが排泄されるようになりますが、この頃はまだ潜伏期間中で症状がないため、知らないうちにウイルスを周囲に撒き散らしてしまう可能性があります。
  症状は熱発、倦怠感および黄疸で、感染してから2〜4週の間に発症します。
  予後は比較的よいのですが、かかってしまうと1から2ヶ月の入院が必要となり、まれには劇症肝炎や急性腎不全を起こし重篤な経過をたどることもあります。

ワクチンについて

A型肝炎を防御する方法としてワクチンで抗体を獲得する方法と、免疫グロブリンにて一時的に感染を予防する方法があります。ワクチン接種をすると自分の体で防御する能力(抗体)ができるため長期にわたって確実な予防が可能です。2から4週の間隔で2回のワクチン接種を受けると6ヶ月以上の免疫が得られます。長期の免疫を維持するためには約6ヶ月程後に3回目のワクチン接種を受けることをお勧めします。免疫グロブリンは抗体自体を投与する方法で、一回の投与でスグに免疫力を得ることができますが抗体としての効果は3ヶ月ほどです。なお、人免疫グロブリンは近年、A型肝炎の免疫保有者の減少に伴い、防御能力が低下傾向にあります。渡航までの時間に余裕がある場合はワクチン接種が勧められます。

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B型肝炎ワクチン

B型肝炎とは

 B型肝炎は衛生状態が悪い国で汚染された医療器具による処置を受けた場合や輸血、性的交渉などによって感染します。B型肝炎はほぼ全世界に存在しますが、中国アジア地域、アフリカ、南米および北米の一部に特に多く見られ、これらの地域では人口の10%前後のキャリアが存在します。(日本のキャリア率は1%以下です)感染源はおもにキャリアと呼ばれる保菌者の体液や血液です。感染した場合キャリア化するのはごくまれで、通常は急性の肝障害を経て治癒し、治癒後はB型肝炎に対する免疫が保持されます。ただA型肝炎と違い経過中に劇症化して死に至ることも少なく無く、感染は絶対避けるべき疾患です。

ワクチンについて

中国アジア地域、アフリカ、南米、北米の一部などキャリアが多い地域に長期滞在する場合や、医療に従事する人は接種をお勧めします。病気や事故で現地の衛生管理が悪い病院へ担ぎ込まれることもありえないことでは無いからです。もちろん、海外で性的交渉や刺青、針治療など、体に傷をつけることは決して行わないことは常識です。現在日本で使用されているワクチンは遺伝子組み換によるリコンビナントワクチンで、安全性は確保されており、以前のワクチンに比べ、免疫効果も比較的良好です。接種方法は1ヶ月の間隔で2回、6ヶ月後に3回目の接種を行います。3回の接種で80−90%の抗体産生能が得られます。

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狂犬病ワクチン

狂犬病とは

狂犬病は犬、猫その他の野生動物から感染する病気で発症すると100%死にいたります。決して発症してはならない病気です。狂犬病は主に噛まれることから感染しますが、舐められたり、動物のくしゃみなどからも感染します。コウモリが空から飛散して感染するケースもあるため、動物に接しないからといっても安心はできません。日本では1957年以降、国内の発症は見られず狂犬病に対する関心は薄れておりますが、世界中では狂犬病の無い国は数えるほどしかありません。WHOは把握し得ただけで少なくとも4万人の患者があり、噛まれた後にワクチンを受けた人は1000から2000万人をこえると推測しております。アジア圏ではストリート・ドッグの問題、南米ではコウモリによる感染が数多く報告されており、注意が必要です。潜伏期は平均2ヶ月で、一年以上の潜伏期間で発症することもあります。中枢神経を侵し、恐水発作(hydrophobia)で有名な恐水型、麻痺型といった中枢神経症状を呈した後、最終的には呼吸中枢が障害を受け死に至ります。

ワクチンについて

狂犬病は潜伏期間が長い為、噛まれた後に受ける暴露後接種も比較的有効です。しかし、信頼が出来る病院が近くに見つからない場合や、発展途上国ではコストの面から危険性の高いセンプル型ワクチンが出回っていることからも、出来るだけ予防接種を予め受けていくことをお勧めします。わが国での予防接種方法は4週間の間隔で2回、6ヶ月から1年後に3回目を接種します。2回の接種でもほぼ十分な予防効果を得られますが、致死率が高い疾患な為まんがいち動物に噛まれた場合は傷口を洗い消毒をした上で予防接種証明書を持参し、一時でも早く信頼できる病院で駄目押しのワクチン接種を受ける必要があります。

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黄熱病ワクチン

黄熱病とは

熱帯アフリカと中南米に存在し、ウイルスを保有する蚊に刺されることにより感染します。都市部では人→蚊→人、ジャングルでは人→蚊→サル→蚊→人→蚊→人という感染経路をたどります。症状は突然の発熱、頭痛、嘔吐などから始まり、重症例ではその後腎障害、出血傾向、黄疸などが加わり、高率で死に至る恐ろしい病気です。黄熱病を防ぐにはワクチンだけでなく、有効な虫除けスプレーを使用したり、藪の中では長袖長ズボンを着用する、蚊帳を使用するなど、蚊に刺されない努力する事が大切です。此れにより、ワクチンで予防出来ないマラリアやデング熱などの感染症の予防にもなります。

ワクチンについて

 特定地域への入国には予防接種が義務付けられており、これらの国への入国の際にイエロカード(予防接種証明書)が要求されます。下記の国への入国以外でも、流行地域を経由してきた場合に提示を求められることもあるようです。アフリカや中南米に渡航する人は必ず大使館か領事館に問い合わせる必要があります。

黄熱病のワクチンは一般の診療所では扱っておらず、各地域の検疫所で受けるようになっております。

イエローカードの有効は接種後10日から10年間です。(再接種の方は接種直後から10年間)
 入国者すべてにイエローカードを要求している国は
ブルキナファソ、カメルーン、中央アフリカ、コロンピア、コンゴ、コートジポアール、フランス領ギアナ、ガボン、ガーナ、リベリア、マリ、モータニア、ニジェール、ルワンダ、サントメ、プリンシペ、トーゴ、ザイール
です。

ただ、黄熱病ワクチンが義務付けられていない国でも黄熱病の危険性がある地域に入る場合は自衛的な意味でワクチンの接種を強くおすすめします。黄熱病ワクチンは、はしかやポリオ等のワクチンと同じく生ワクチン(弱毒化した、生きているワクチン株を実際感染する方法)なので、まれに軽い頭痛や倦怠感、節々の痛みなど風症状に似た症状がでることがありますが、大抵2日以内で治まります。

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日本脳炎

日本脳炎とは

日本脳炎ウイルスは豚が保菌し、夜行性のアカイエ蚊が媒介します。
極東、東南アジア、南アジア一帯に広く分布し、名前とは違い日本では患者数が著しく減少してきております。
 名前のとおり脳炎をおこすウイルスで、痙攣、麻痺、錯乱など多彩な中枢神経症状を呈します。発症すると死亡率、後遺症、完全治癒はそれぞれ約1/3と、とても怖い病気です。
疫学的にはまだ十分解明されていませんが、蚊が媒介するため実際にはかなりの人が知らないうちに感染していると考えられ、大部分の感染者では脳炎までいたらず発症者は100から1000人に一人ではないかと言われています。
発症する人としない人の差が何かはまだわかっておりませんが、小児で脳炎を発症する確率が高く注意が必要です。
 また中国を含め、アジア地域では実際に脳炎を発症している人が数多く見られ、都市部以外の地域に滞在する場合は予防接種について考慮する必要があります。

ワクチンについて

かつては日本では小児に生後6ヶ月から15歳の間に計5回のワクチン接種を行っておりましたが、III期のワクチンを受けていない場合、13歳ぐらいを境に抗体保有率は急速に低下します。成人に対して追加接種する場合は一週間以上あけて2回、1年後に3回目の接種を受けます。定期予防接種の積極的勧奨の差し控え勧告について厚生労働省は2004年7月、に日本脳炎ワクチン接種後に重度のADEM(急性散発性脳脊髄炎)を発症した症例を重く見て、ワクチンとADEMとの関連性が証明されないまま、本年(2005年)5月から子供に対する定期予防接種の積極的勧奨の差し控え勧告が出されております。海外予防接種としての日本脳炎ワクチン接種についても、医師からADEMの危険性や渡航地での日本脳炎感染の危険性について十分説明を受けた後、被接種者の判断の元、同意書を記入の上接種を行う様指示がでております。

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破傷風ワクチン

破傷風とは

 破傷風菌は世界中どこの土壌にも(先進国、後進国をとわず)存在します。日本の土壌にもいたるところに存在します。
 土の中に潜んでおり傷口から感染すると強烈な毒素を作り出します。毒素は傷口の神経末端から入り、最終的には脳へ回ります。最初は傷口付近がこわばる感じや倦怠感があります。その後、全身にまわり始めると口が開かない、物が飲み込みにくい、手足の硬直、さらには全身のけいれんがはじまります。
 とても運よく生き残り、けいれんが治まったとしても手足の硬直が消えるまでは2ヶ月ほどかかりますが治癒すれば後遺症は残りません。医療機関の発達した日本では適切な傷口の消毒、抗生剤投与、発病後の適切な管理などにより発症率、致死率とも比較的低いのですが、世界的にみると未だ多くの人が亡くなっている恐ろしい病気です。

ワクチンについて

このワクチンは菌体に対する抗体を作らせるワクチンではなく、トキソイドといって無毒化した毒素をワクチンとして接種することにより毒素に対する免疫を獲得するものです。破傷風は極微量の毒素にて発症するため、発症しても免疫はつかず、ワクチンのみにより免疫が獲得できます。現地で怪我をする可能性のある活動をする人が接種の対象となります。これにはビーチではだしで歩いたりアウトドアスポーツなどを行う可能性の高い、一般旅行者も含まれます。
 1968年以降に生まれた人は乳児期にDPT三種混合ワクチン(破傷風・ジフテリア・百日咳)により基礎免疫が終了しております。基礎免疫を終了した人でも終了後10年以上経過している場合、破傷風ワクチン(もしくはDT(破傷風・ジフテリア混合ワクチン)の追加接種が進められます。それ以前に生まれた人については基礎免疫から受ける必要があります。2回目の接種は初回から4〜8週あけて行い、3回目は初回接種から6〜18ヶ月の間に接種を行います。以降は10年毎に接種することにより十分な免疫力を保持することができます。
 3回目の接種は渡航に間に合わないと思われますが、2回の接種でもかなりの免疫力期待できます。

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□コレラワクチン

コレラとは

汚い水や食事から経口的に感染し、一日数リットルから数十リットルのとても多量の下痢し、典型例では米のとぎ汁様便がみられます。また腹痛を伴わない事も特徴です。潜伏期は1日ほどです。
 いまだ東南アジア、アフリカ、南米を中心に少なくとも年間30万人以上のコレラ患者が記録され、多くの子供たちの命が奪われており、その原因は上下水道の完備などを含めた生活衛生環境と貧困によるものが大きいといえます。

ワクチンについて

現在認められている注射によるワクチンの効果は約半分で、接種後6ヶ月程しか持続しないといった、とても優秀とはいえないワクチンです。しかし接種していれば発症しても軽くすむ可能性も高く、コレラ流行地や衛生管理にとても問題のある地域へ行くときは予防接種をうけていく価値はあります。接種方法は5−7日の間隔で2回の接種をおこないます。海外では経口生ワクチンが開発され、腸管表面での免疫誘導ができる点で今後効果が期待されております。

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今後期待されるワクチンについて。

髄膜炎菌ワクチン

日本では流行性髄膜炎はほぼ制圧され、散発例を認めるのみですが、世界的にはアフリカや南米を中心に、現在でも流行を繰り返しております。これらの危険地域に渡航する場合や、米国留学で(特に寄宿舎に入る場合)要求されることがありますが、日本国内では製造されておらず、輸入ワクチンが認められない日本では現在のところ接種できません。

腸チフスワクチン

 腸チフスは経口的に感染し、熱発を主体とする症状を呈する疾患で、日本では1970年以降は副反応のため接種が中止され製造もされておりません。海外では1990年台に安全な経口生ワクチンと注射のVi多糖体ワクチンが開発されてますが、未だ日本国内では製造されておりません。